かつては、人間自ら最も進化した生物として「万物の霊長」と称していた時代があったが、その進化した能力の故に、大量殺戮兵器を使用した世界レベルの戦争や、大量消費による自然破壊などの問題が続発し、現在では地球的観点での人間のあるべき姿が問い直されている。
近代以前の言語で日本語の「人間」に相当する表現が、ホモ・サピエンスを指し示さない場合がある。つまり、奴隷、農奴その他が自明当然の存在として扱われ、日本語の「人間」に相当する表現が「自由人」の意で用いられ、筆者自身がそのことを意識さえしていないという時代的制約がある場合である。一部の文献の解読に際しては注意しなければならないことである。
今日に於いて、所謂「人間」という表現が指している存在は、確認されているモノはヒト科ヒト属に属するヒトという動物以外には存在しない。これは現在の地球上に於いて、ヒトが作った分類学上の区分によるためであると同時に、ヒトがヒトの持つ文化を(部分的にではなく、包括的に)継承し得るのはヒト以外には無いためである。
しかし同時に、生れ付いての夢想家でもある人間は、このヒトならざるヒトとして、所謂宇宙人や人造人間等といった、想像上に於いてヒトと同等の能力を持った存在を想定する事が出来る。例えば、ヒトの文化を継承する事が可能で、又、実際に独自のヒトの文化を有する他種族が居たとして、これを我々人類の持つ文化圏の中に招き入れると仮定した場合、その扱いが争点となる。

