このような歴史を経て来た人類にとって、果たしてヒトという動物の中の一種族のみが人間と言えるのか、それとも文化や知能・またはそれ以外の何かしかのレベルの一定段階以上に在る存在が人間なのか…という問題が哲学や社会学などといった学術の分野でも、長らく論争の元となっている。
この問題は地球外生命探査の分野においても例外ではなく、もし地球外で発生した生命が、独自の文化や社会を形成していたとした場合に、どの段階から「人間として相手を尊重すべきか?」という問題も含み、議論を呼んでいる。(まだ見ぬ)彼ら地球外生命は我々人類を含む地球の生物とは全く別の進化系統・生態系に属していると考えられているが、彼らがその形質上において地球上の生物とは異なる存在であろうとも生命と認識されるのと同様に、その何等かの特徴を持って「人間」として扱うべきであろうと考えられている。(→地球外文明)
もし彼らが、我々の考える所の人道と同じ概念を共有出来るなら、それは即ち人間であるとする考えは、広くSF等の仮定や創作物の分野で見られる。その一方で知能の一定段階をもって人間とする考え方は古くからあったが、今日ではコンピュータ等の計算や論理思考を行う装置(人工知能)が普及した事にも関連して、やや曖昧な部分を含むようになってきており、この「人間か、機械装置か」というテーマを掲げたSF作品も少なくない(→チューリング・テスト)。「精神の有無」に関しては、精神が手にとって眺めたり、口にして味わったり、匂いを嗅いだり出来ない(現代科学では所定の計測方法が存在しない)、いまだその定義が議論(主に哲学)の対象となる概念のため、「人間かどうか」の判定方法としては利用出来ない。

